【いい人でなければ嫌われる…】自我を出して生きる道はなかった

私の人生の中で、良くも悪くも姉という人の存在は大きいものでした。

両親は共働きで、父は毎日遅くまで働き、母が帰宅するのは夕方6時過ぎでした。

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記憶に薄い母との関係、深すぎた姉との関係

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母は、帰宅後すぐに夕食の支度と食事、子供をお風呂に入れて寝かせ、
朝起きたら朝食と洗濯と出勤の支度…という、全く時間に余裕のない生活でした。

祖母が同居していましたが、「家事は嫁の仕事」という姿勢で、
あまり家のことをしない人だったため、母はいつも疲れきっていました。

私の幼少期の記憶の中では「母との関係」はとても薄く、
私にとって両親は「お父さん」「お母さん」以外の何者でもありませんでした。

つまり「この人はお父さん」、「この人はお母さん」、それだけ。
好きかと聞かれたら、「嫌いじゃないから好き」という感じでした。

親に対してあまり感情らしきものを持っていないことを、
子供ながらに不思議に思っていたことをよく覚えています。

日中家にいるのは姉と祖母、そして私の3人でした。

祖母は私をとてもかわいがってくれましたが、
それも姉の心を寂しくさせたのでしょう。

姉は私のことを本当にほんっと~に心から嫌っていて、
いつも私をいじめてばかりいました。

姉は、私が反抗したり自分の思い通りにならない態度をとると
すぐ私をたたいたりつねったり「バカ」「ブス」などと言ったりしたので、
私にとっては「姉を怒らせないように行動する」こと、
常に姉の顔色をうかがい、「姉の求めている私」を察し、
その通りに行動しなくてはならない、というのが最大の関心事でした。

嫌われ、馬鹿にされていることがわかっていても、
私には姉と距離を置くという選択肢はありませんでした。

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人目を気にしすぎる大人たちに育てられ、やがて自分も…

さらに、祖母も両親も「近所から悪く思われないように・笑われないように」
ということを常に気にするような人でした。

そのために祖母と両親がいつも気を使っていたことは、
「目立ちすぎない・地味すぎない生活をする」こと、
そして何か頼まれれば「いいですよ」とニコニコして引き受けること。

祖母は小さかった私に「他人から『いい人』と思われるように生きなさい」と教えました。

それは、三人の子供を抱えて戦争未亡人となり、
明日食べるものも将来の保証も何もなかった時代の中で、
祖母が必死の思いで身につけた、生き残るための手段だったのかもしれないし、
もっと小さい頃から染みついた生き方だったのかもしれません。

社会人になった私は、人の誘いや頼まれ事はできるだけ断らないし、
笑いたくない場面でも笑顔を作ることのできる、
「いい人」に成長していました。

がんばって「いい人」でいたのに、なぜか友達関係の多くは
半年から1年くらいで壊れていくことがほとんどでした。

つづく↓
幼少期の人間関係のあり方は大人になっても続くけれど…

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