“置かれた場所で咲きなさい”の渡辺和子さん金スマでうつ病と人生を語る

2012年の発売以降、80週連続ベストテン入りし、多くの人の人生を変えてきた名著「置かれた場所で咲きなさい」の著者で、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが金スマにご出演。

心に深く残る名言をたくさん視聴者にプレゼントしてくださいました。

生きていくうえで、とても大切なものになって行くかもしれない、渡辺さんのメッセージをまとめました。

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-置かれた場所で咲きなさい-

-どんなところに置かれても 花を咲かせる心を持ち続けよう-

この本のタイトルだけでも癒された人も多いはず。

これは、渡辺さん自身が救われた言葉でもありました。

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引用元:https://kodomo-ouen.com/index.html

36歳の若さで、岡山とは縁もゆかりもなかった渡辺さんがノートルダム清心女子大学の学長になった時、先輩シスターからの風当たりは想像以上に強く、嫉妬やねたみによる無視や不理解が続きました。

つらい毎日に、大学を去ろうとしていた渡辺さんは、ミサで神父からある詩を渡されます。

そこには、

置かれた所で咲きなさい。
置かれた環境で咲くという事は、
仕方がないとあきらめることではない。
自分が笑顔で幸せに生き
周囲の人を幸せにすることによって
神があなたをここに植えたことが
間違えではなかったと証明するのです。

と書かれていました。

それを読んだ渡辺さんは、「私にとっては岡山が居場所なんだ」と思い直すことが出来たそうです。

置かれた場所に不平不満を持ち、
他人の出方で幸せになったり
不幸になったりしては、
私は環境の奴隷でしかない。

人間として生まれたからには、
どんなところに置かれても、
そこで環境の主人となり
自分の花を咲かせようと、
決心することができました。
それは「私が変わる」
ことによってのみ可能でした。

『置かれた場所で咲きなさい』より

それ以来渡辺さんは、積極的に自分から挨拶するようになり、それにともなって周囲の渡辺さんに対する態度も変わっていったと言います。

結婚しても、
就職しても、
子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」
と思うことが、
次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で
「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、
日照り続きで咲けない日。
そんな時には
無理に咲かなくてもいい。

その代りに、根を下へ下へと降ろして、
根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、
美しいものとなるために。

どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう

「月ゆがむにあらず 水ゆがむなり」

「月ゆがむにあらず 水ゆがむなり」とは、
渡辺さんが学校で生徒さんによく教えていることばのひとつです。

水面に月が映ると、ユラユラゆがんで見えますね。
それは、「月がゆがんでいるのではなく、あなたの心がんでいる」ということなのだそう。

水面は、自分の心を映す鏡であり、映った月は自分の心のゆがみを映しているのです。

何もかもまわりのせいにするのではなく、「私にも悪いところがあるのかな」と、一歩引いて自分を見つめ直すことが大切です。

渡辺さん自身も、今でも人間関係に傷つき、「仕返しをしてやりたい」と思ったことがあるそうです。

でも、渡辺さんのお母さんの教えが、渡辺さんを復讐心から救いました。

「もし傷ついても、
相手のレベルに自分を下げて
仕返しをしてはいけません。」

と、お母さんに繰り返し教えられたそうです。

そして、キリスト教の「汝の敵を愛せよ」という教え。

「許すっていうのは、負けることじゃないんですよね。むしろ相手に勝つこと。
結局許さないと、その人のことが気にかかってしょうがないんです。
『今頃何をしている?』『誰に取り入っている?』『どんな立場になった?』とかね。
『そんな事どうでもいい、私は私、人は人』と考えられるようになると、自分も自由になると思います」

確かに、憎らしい相手を許さないままでいると、相手が今何をしているか、何を考えているかにとらわれてしまいますね。

その無駄な時間は、自分が憎む相手の支配下にある、という事になります。

そこから自由になり、自分の心が癒されるようになるためには、相手を許すことが何よりの近道なのです。

許さない間は
相手の支配下にある
自由になるために
思いを断ち切ることが大切

「汝の敵を愛せよ」という教えを守ることができない、許せない…!

キリスト教徒でなくても良く知っているキリストの教え「汝の敵を愛せよ」。

渡辺さんには、どうしてもこの教えを守ることができない相手がいました。

それは、父を暗殺した人たち。

二・二六事件が起きた1936年(昭和11年)2月26日、渡辺さんのお父様である渡辺錠太郎氏は、決起した青年将校たちによって、暗殺されたのです。

当時9歳だった渡辺さんの目の前で、お父様は43発もの銃弾をあびて亡くなりました。

渡辺さんは同室の物陰に隠れていたので、現場そのものを直視していたわけではありませんでしたが、渡辺さんが人生で初めて直面した「人の死」は、実の父の凄惨な死だったのです。

修道院に入って20年余りがたった頃、渡辺さんはあるテレビ番組に呼ばれました。

二・二六事件の唯一の生き証人として、事件のことを話してほしいと言う趣旨でした。

しかしテレビ局に出向いてみると、そこには二・二六事件に参加した将校の一人だったという男が同席していたのです。

渡辺さんは、何も知らされていませんでした。

被害者の遺族と、加害者側の人間の同席。

目の前に父の仇がいる…。

父を殺した人たちを「憎んでいますか?」とよく聞かれました。
そのたびに私は「いいえ、あの方たちにはあの方たちの大義名分がおありになったと思いますので、お恨みしておりません」と言っていました。

「面倒だから、しよう」より

場が和むようにと、番組スタッフがコーヒーを運んできました。

しかし渡辺さんは、その場で一言も口をきくことができず、出されたコーヒーを元兵士と一緒に飲むことさえもできませんでした。

渡辺さんは、心の底からは元兵士たちを許すことができていなかったということに気づきます。

「許すって難しい。相手にもよるんです。」
…と、渡辺さん。

私がもし聖書の中の「汝の敵を愛せよ」
ということを実行するとすれば、
せめて相手の方の不幸を
願わないことです。

人間は弱いものです。
口ではきれいな事を言っても
なかなか体がついて行かないことがあります。
それを体験できたということは、
恵みだったと思います。

「面倒だから、しよう」より

今でも私はある意味で
許せない人がいます。
でもその人のことを
今どうなったとか、
どうこう思わないようになりました。

せめて相手の不幸を願わないことを心に留めて生きたい

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50歳でうつ病発症、転んでもただでは起きない

そんな渡辺さんも、50歳の頃、過労によりうつ病を発病します。

女性の50歳前後は、閉経と共に迎える更年期障害や環境の変化など、とても微妙な時期です。

更年期からうつ病を発病する人は少なくありません。

-笑顔も作れないし
ひと様とまともにお話することもできない-

渡辺さんは絶望し、「私は何もできない人間」と、全ての自信を失い、「この世に生きていてもしょうがない」と死ぬことまで考えました。

高い崖の上にある病院で、「ここから飛び降りたら死ねる」と思ったこともあったそうです。

しかし、うつ病で戦った2年の間に、見えてきたものもありました。


「病気という人生の穴は、
それまで見ることができなかった
多くのものを見せてくれました。

それは、その時まで
気付かなかった
他人のやさしさであり
自分の傲慢(ごうまん)さでした。

私はこの病気によって、
以前よりやさしくなりました。
他人の弱さがわかるようになったのです。」

「(病気によって)人生にポッカリ空いた穴から
これまで見えなかったものが見えてくる」

人は、思わぬ失敗や不幸から、大切なものに気づくことがあるのですね。

転んでもただでは起きない。

今何かつらいことで悩んでいる人は、そこから何か見つけられるものがないか探してみませんか。

きっと、大切なものが転がっているはず!

苦しい峠でも必ず「下り坂」になる

人はどんな険しい峠でも
超える力を持っている
そして苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる

長い人生、つらいこと、苦しい事、悲しいことは、どんな人にも必ず訪れます。

でも、その峠の頂点を超えれば必ず下り坂がやってくるのです。

これは本当に真実のことばだと私も思います。

のぼり坂にいる時は、頂点も見えないし、いつが終わりなのかもわからない。

でも、のぼり続けなくてはならない坂なんてないのです。

絶対に。

人は98%までしか信じてはいけない!

「友達でも夫婦でも、100%信じてはいけません。
100%信頼するから許せなくなる。
全ての人に対して、2%のゆとりを持っていれば、相手の間違いを許すことができるのです。」

「相手もあなたも同じ考えを持たないで当たり前。
人間は決して完全には分かり合えない。
100%信頼した出会いは
かえって壊れやすいと思います。」

信頼は98%。
2%は相手が間違った時の許しのためにとっておく。

実際は、相手が間違っているのではなく、自分のほうが間違った目で相手を見ていることだってあります。

2%は、そういう広い視野を持つためのゆとりでもあるのかもしれませんね。

この世に雑用と言う名の用はない

渡辺さんが修道院に入りたての頃、さまざまな雑用に明け暮れていた時代がありました。

100人分のお皿を並べる仕事を黙々とこなしていると、あるシスターに

「あなたは何を考えながら仕事をしているのですか?
(何も考えてないなら)あなたは時間を無駄にしています。
時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。
同じ仕事をするなら、ひとりひとりのシスターのために祈りながら並べていきなさい」

と言われました。

渡辺さんは、この時、

「この世に雑用と言う名の用はない。
用を雑に行った時に雑用は生まれる」

と気づいたそうです。

そしてそれまで「つまらない」と思っていた「雑用」が、
「雑用だからこそ私の祈りがこめられる。
祈りを込めた相手が変わるかどうかはわからないけれど
私が変わる。」

と、思えるようになったのです。

「生きていく上では、嫌なこと、
したくないこと、
欲しくないもの、
気に入らない相手など
数々の自分にとってありがたくない物事に
向き合わないといけないことがあります。
つまらない仕事を、
つまらなくない仕事に変える術を、
若くして修道院で教えてもらえたことを私は、
感謝しています。
『幸せは、いつも自分の心が決める』のであり、
私たちは、環境の奴隷でなく、
環境の主人となりうる人間の尊厳を
忘れてはいけないのです。」

(「面倒だから、しよう」より)

時間の使い方は、命の使い方なのである

マザー・テレサの教え

日本人でも、その名を知らない人はいないであろうマザー・テレサには、渡辺さんも感銘を受けたことがたくさんあったそうです。

1984年11月、マザー・テレサが来日した時のこと。

渡辺さんはマザーの通訳として講演会などに同行しました。

多忙を極めたスケジュールの中で、マスコミのフラッシュを浴び、相当疲れていたであろうマザーは、それでも嫌な顔一つせず、ニコニコして対応していました。

それを見て「愛想が良い方。写真を撮られるのがお好きなのかしら」と思っていた渡辺さん。

しかしマザー・テレサはそんな渡辺さんに、

「私は神様とお約束がしてあるの。
フラッシュがたかれるたびに、
笑顔で応じますから、
魂をひとつお救い下さい、って」
と言ったそうです。

決してカメラが好きと言うことではなく、一度フラッシュに笑顔で答えるたび、魂がひとつ救われるという信念のもとの笑顔だったというわけです。

私たちの生活の中にも、嫌な事やつらいこと、面倒な事、イライラするものがたくさんあります。

でもそんな時、
「これを我慢したら幸運がひとつ訪れる」
「大好きなあの人が幸せになる」
など、自分にとってプラスになる理由をひとつ見つけておくと、今まで面倒だな、嫌だな、と思っていたことが我慢できるようになるかもしれません。

誰のためでなく、自分にとって素晴らしい考え方ですね。

「あなたが大切なの」と言ってあげて

愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、
本当は「無関心」。
憎む対象にすらならない無関心なのです。

ある中学生の自殺を受けて、渡辺さんは痛感します。

「命は大切だ」と何回教えられるよりも、
「あなたが大切だ」と誰かに言ってもらえるだけで、人は生きていける、ということを。

「あなたが大切なの」という言葉が大事なのです。

本当の貧しさとは

マザー・テレサは、日本の全てがきれいな事にカルチャーショックを受けたそうですが、
「どんなにきれいなおうちに住んで、どんなにきれいな服を着ていても、親子の間に会話がなかったり、夫と妻の間にいたわりあいがなかったらカルカッタの泥でこねて作られた家より貧しい」

と言われたそうです。

う~ん、これには耳が痛くなりました。

私は長年の夫婦生活の中で、どれだけ夫にねぎらいのことばをかけてあげたことがあっただろうか…?

文句や不平不満ばかりぶつけていなかっただろうか?

そんな不出来な妻を許してくれる夫を、もっと大切にしなくては…と、考えさせられました。

人間関係を良好にする「の」の字の哲学

疲れて帰ってきた夫が「ああ、疲れた」と言ったら、

「疲れているのはあなただけじゃないのよ」などと言わず、

「疲れた?」と同調してあげましょう。

同意してもらえること、同調してもらえることは、お互いの気持ちの理解につながり、人間関係を良くします。

相手の気持ちに寄り添うことで、人間関係を良くするのです。

「の」の字とは、相手が言った「いやだな」「やりたくないな」などのことばに対し、「何を言っているの!」と反発する前に、「いやなの?」「やりたくないの?」と「の?」をつけて同調してあげることを言います。

人は、「そうだよね、嫌だよね」と同調してもらえるだけで癒されるのです。

「寸鉄人を殺す」という言葉があるように、短い言葉でも相手を殺しもすれば生かすこともできるのです。
「置かれた場所で咲きなさい」より

生徒にも、
「きみは足し算しかできない」と言うのではなく、「きみは足し算ならできる」と言うようにすることで、生徒たちの更生につながり、立派に卒業できるようになっていったのだそうです。

ちょっとしたもの言いが相手を生かしも殺しもする

「損した!」と思わなくて済む方法

今でも、挨拶しても知らん顔する学生に、「(あいさつして)損した!」と思ってしまうことがあるという渡辺さん。

でも、そんな時は、
「損をしたと思っているだけではいけない。一度ポケットに挨拶を入れておこう。そして神様にお願いして、そのポケットの挨拶を、仮設住宅で暮らす人や、今困っている誰かに(自分のかわりに他の誰かから)あげてもらおう」

と考えるようにして、自分の中で落ち着いたのだそうです。

見返りがなくても
自分の行いは神様経由で
誰かの役に立っていると考える

これは必ずしも神様経由と考える必要はありません。

自分の中で「この場面を笑顔で乗り切れば、好きな誰かが笑顔になる」というような、自分にとって都合の良いことでいいのです。

全ては、人のためのようであって実は自分のために良いことなのであり、自分の心が満たされていれば、まわりの人を幸せにすることができる、という事なのかもしれませんね。

たくさんの名言が紹介されていましたので、いきなり全部を実践するのは難しいと思いますが、何か一つでも、自分の中でしっくりくるものから始めてみてはいかがでしょうか?

苦しい時ほど、その言葉の意味が理解できる。

そんな気がします。

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2015-11-03 “置かれた場所で咲きなさい”の渡辺和子さん金スマでうつ病と人生を語る はコメントを受け付けていません。 その他